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来迎寺(らいこうじ)

万葉集にも謳われた久世。 この地の領主となった 徳川三代将軍家光の妹、 姫宮の寄進により再興された

 久世の地は、徳川三代将軍家光の妹である姫宮の領地となりました。 姫宮は信仰心厚く、自分の領地内から寺の敷地と寺領の畑を寄付し、慶安2年(1649)に「来迎寺」として再興したと伝えられています。 正式名称を浄土宗「光明山来迎寺」といい、姫宮の位牌は今も本堂に祀られています。 本尊の阿弥陀如来坐像は、高さ約58センチ、平安時代初期の作とされる。寺宝のとして、 境内にあって立ち枯れた樹齢400年の榧の切り株から出てきた木仏、同じく榧の木からつくった観音菩薩、勢至菩薩があります。 勢至菩薩の胎内には、来迎寺の由来が書かれた古文書が収められ、観音菩薩の胎内には「造立願文」と檀家等縁ある方々の名前「結縁交名」が収められています。

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10世紀後半か11世紀前半の平安初期に造られた「阿弥陀如来坐像」
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本堂に安置される木の塊の仏様、木仏。榧のハート型の切り株から現れた
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命を尊ぶため、同じく樹齢約400年の榧の木からつくられた数珠

納骨堂【親縁堂】

当山にあった榧の巨木は、樹齢400年、高さ14メートル、幹周り3メートルもあり、 立ち枯れたその古木の根株を利用し「親縁堂」がつくられました。雄雌2本が1本の木になっていることから観音菩薩、 勢至菩薩が造立され、榧の根株からは木仏(仏様に見える木の塊)も出てくるなど、仏様と榧の木との不思議な多縁に結ばれています。